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2006年6月28日 (水)

シリーズ生い立ち11・県議選初挑戦編

横浜国立大学4年生在学中の4月、県議選に初挑戦しました。

母が立候補し、8000票余りを得て次点だった選挙の4年後であり、母の選挙を応援した人たちからは、母の再挑戦を期待する声が高かったのですが、母は1度の立候補ですでに選挙にこりてしまっていて、二度と選挙に立候補する気はないと固く決意していました。

家族として選挙の前後を見てきたわたしとしても、これ以上母に立候補を要求することは、いくら世の中を良くするためといってもあまりにも母にとって精神的な負担が大きすぎるのではないかと感じていました。

前年の8月に長女が産まれたこともあり、その頃ちょうどダイオキシンの問題がクローズアップされていて、母乳にダイオキシンが含まれているとか、また、オゾンホールの影響で日光浴もあまりさせてはいけないなどの話を聞き、食べ物や環境問題に無関心でいられなくなったこと、選挙権も、被選挙権も得るまでに20年かかることを考えると、少なくともこどもが自分で社会に対して働きかけができるようになるまでは、母がそうしていたように、親として自分が社会を少しでも住みやすいものとするよう力を尽くさなければならないのではないかと思ったことなどが、立候補を決意した理由でした。

いまから思うと、選挙についても、政治についても、何も知らないに等しい中での決意でしたが、その根本的な想いは今も変わっていません。告示のわずか1ヶ月前の立候補表明。横浜国大の友人たちも、春休みを返上して応援に駆けつけてくれました。

熱い想いとは裏腹に、結果は3570票と、法定得票にわずかに届かない結果で落選。それでも、まったく無名でたった27歳、なんの組織もないわたしに、おそらくは一面識もない3000人以上の人たちが投票してくれたということは、大きな感動であり、この期待を無駄にしてはいけないという強い気持ちが生まれたのでした。

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