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2006年4月13日 (木)

シリーズ生い立ち7・浪人時代編

大学生時代のあとに浪人時代がくるというのも変なものですが・・・。

いよいよ就職活動という時期になって、それまで漠然と考えていたマスコミに就職したいという希望が、本当に自分の望む道なのかどうか、確信がもてなくなってしまいました。

自分自身を振り返ったときに、「わたしはこれができる!」と言えるような、自分の身についた技術がないこと、自分は一生この仕事をしたい、といえるような仕事に出会っていないことに、はたと気づいたのです。

まだまだ自分には知らないこと、学ぶべきことがいっぱいあるのではないかと思い始め、特に理系の勉強をほとんどしていないことがもったいないような気がして、手に職をつけるためにも、医学部に行こう!と思い、勉強をはじめました。

数学は数Iをやっただけ、理科は理科Iをやっただけ、という状況だったので、勉強することは山ほどありました。理系の勉強は難しかったのですが、問題を解くことが楽しくて、結構熱中してやりました。とはいえ、もちろんそう簡単に成果が上がるわけもなく、4年生での受験は不合格。卒業してから本格的に勉強にとりかかりました。

ところが、ここで現在のわたしの活動に大きな影響を与えたことがおこりました。当時、老朽化していた太田市役所を建て替え、300億円かけて新しい庁舎を建設するという計画がもちあがったのです。

そのころはちょうどバブルの終わりぐらいの時期で、東京都庁をはじめ、各地で豪華な庁舎の建設が進められていました。しかし、豪華すぎると批判を浴びた都庁でさえ、1000億円。1000万人の人口で割れば、一人あたりの負担は1万円ぐらいですが、太田の人口はそのときおよそ15万人で、300億円の庁舎は実に人口で割ると一人20万円もの負担です。

家で受験勉強をしていたわたしに、母が「どう思う?」と話し掛けてきたことは、今でも忘れられません。「おかしいと思うなら、なんとかするようにすればいいじゃん。」そう答えたわたしに、母は考え込んでいるようでした。

それからしばらくして、伯父の恩田光悦を代表とする市民団体ねっとわーくMIMIZUによる、新庁舎建設計画見直しを求める署名活動が始まりました。受験勉強中という名目でうちにいたわたしも、その運動のお手伝いをするようになりました。

活動は反響を呼び、署名はどんどん集まりました。わたしの(不確かな)記憶によれば、最終的に集まった署名の数は3万3千を超えていたと思います。メンバーの人たちは、署名を議会に提出しようと当時の市議会議員全員に紹介議員になってくれるようお願いに行ったのですが、結果としてほぼすべての議員に断られ、唯一承諾して紹介議員になってくれたのは、昨年ガンで若くして亡くなった、竹内和代さんだけだったそうです。

紹介議員になってくれる議員さえほとんどいない状況ですから、もちろん、その請願は否決されました。しかし、3万を超える市民が署名し、見直しを求めているにもかかわらず、それを省みない市議会とは、いったいなんなのでしょうか?メンバーは議員を変えなければだめだと4月に予定されていた統一地方選に候補者を擁立することを決めました。(つづく)

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