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2006年1月30日 (月)

ブログの書きすぎ!

ここのところ、先日紹介した群馬県子育て塾事業として作成中の子育て情報HPの取材や記事の執筆で忙しくしています。

一つ一つの記事はブログで書こう、ということになり、これまで取材してきた写真をブログにアップしているところですが、今日はなんと!15も記事を書きました!

その上このブログも書いているので今日は16個めの記事です。書きすぎて頭がぼーっとしてきたので、今日はこれで勘弁してください。m(_ _)m

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2006年1月29日 (日)

ソーシャル・アクション・スクール

先日竹中総務大臣の話を聞きそこなった、ソーシャル・アクション・スクールという勉強会で、今度は太田市長の清水さんが講師だということで聞きにいってきました。

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これまで品質管理のISO9001、環境のISO14001を行政としては全国に先駆けて取得し、今は情報管理の27001を取得しようとしていること、内部評価ではどうしても甘くなるので、そういう外部から評価される仕組みを積極的に取り入れることで、行政サービスの向上に結び付けたい、というような内容でした。

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午後は「リンクアンドモチベーション」というコンサルタント会社の社長、小笹さんの「アイ・カンパニー」という考え方について話を伺いました。

アイ・カンパニーというのは、自分自身をひとつの会社としてとらえ、自分がその経営者であるという立場で行動していく、という考え方です。小笹さんの話は、たとえば新橋の焼き鳥屋さんで「うちの会社はビジョンがない!」とぼやいているサラリーマンの人たちの気持ちはよくわかるけれど、でも仮にその人たち一人一人が自分自身という会社の経営者だと考えるなら、その自分という会社には二年後、三年後、十年後のビジョンが果たしてあるのだろうか、もしないとしたら、なぜ会社にビジョンがないことを責められるのだろうか、という問題提起から始まりました。

そして、世の中には「変えられること」と「変えられないこと」があり、仮に自分自身が会社であるとするならば、変えられないことにエネルギーを費やすのは無駄であり、経営資源をすべて「変えられること」に集中することで、効率よく成果を得られる、ということを具体例を交えてわかりやすく解説していただきました。

たとえば、変えられるのは「思考」と「行動」であり、変えられないのは「感情」や「生理的機能」。変えられるのは「未来」であり変えられないのは「過去」。変えられるのは「自分」であり変えられないのは「他人」。言葉で説明すれば当たり前のようでありながら、日常を振り返ってみると、わたしたちは変えられないものを変えようとして一生懸命エネルギーを費やしていることが結構あります。そういうときは、少し意識や行動のように変えられるものを変えてみると、案外エネルギーの浪費から免れることができるものだそうです。

さすがに人や会社にアドバイスをすることが本職であるだけに、とても聞きやすく興味深いお話でした。 

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さらにその後は志木市の財政課長、原田さんのお話。200人を超える市民で組織する第二の市役所「志木市民委員会」のことなどを中心にお話いただきました。

この勉強会は、各地の市役所など現職の地方公務員の方や国家公務員の方を中心に、学生も多く参加しているようですが、太田市役所の人も3人も参加していて、熱心だなあ、と感心しました。ひさしぶりの一日がかりの勉強会で、学生に戻ったような気分でした。

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2006年1月27日 (金)

活き活き子育てに役立つ子どもの造形活動

今日は10時から、本町通りに新しくできた太田行政センターの集会室で、平成17年度の市民活動普及啓発事業の一環としておおたファミリーサポートセンターが実施する「活き活き子育てに役立つ連続講座」第4回「子どもの造形活動」がありました。

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講師は田中真理子さん。毎週子どもたちに絵画などの造形を教える教室「アトリエ・パレット」を主宰しています。

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大人はついつい、子どもの絵に口出しをしたくなってしまいますが、そういう場合でも絵を描いててみせるのは禁物。どんなふうだったかな?と細かく聞きながら、子ども自身がイメージを持ってかけるようにしないと、かえって子どもの発想を妨げてしまうことになります。

でも、まったく放りっぱなしにする、というわけでもなく、どんなところがよかったの?とか、聞いてあげることで子どもの力を引き出してあげられるそうです。

例示してくださった教室の子どもたちが描いた絵は、すばらしいもので、しかも「この絵を描いた子が何年後にはこういう絵を描いています」と時系列で見せていただいたため、子どもの成長が目に見えてわかりました。参加者からは感嘆のため息がもれるほどでした。

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お話の後は、ガラスに描ける絵の具を使って実際に絵を描いてみました。

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なかなかの力作ぞろいです!

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小さいお子さん連れの参加者も多く、イベント保育も満員御礼です。この太田行政センターには、子育てサロンという部屋があり、そこを利用してのイベント保育でした。

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2006年1月26日 (木)

県議定数6減、50に 議会改革委が大筋合意

次期県議選の区割りの見直しと議員定数削減の概要が固まったようです。上毛新聞の記事によれば、定数は現行より6減の50議席に、選挙区は合併後の郡市を単位とすることでほぼ決まりました。

太田市は合併前は旧太田市が定数4、旧新田郡区が新田、尾島、藪塚、笠懸の4町で定数2だったのですが、次回の県議選では笠懸を除く旧新田郡区と旧太田市の範囲を合わせて定数5となります。

区割りの見直しは、今回行わなかったとしても次々回の選挙からは行わなければならないので、当然といえば当然のことですが、定数削減については賛否両論があると思います。

財政状況が厳しい折から、経費削減の要求は当然あることですが、それを定数削減で賄うのか、議員報酬引き下げで賄うのかは議論の余地があります。たいして仕事してもらってない、と有権者が思っているとすれば定数なんかどんどん減らしてしまった方がいい、ということになるかもしれませんが、その分議員一人を選出するのに必要な得票数が多くなり、結果的に一票の重みが小さくなることは、認識しておく必要があると思います。

また、議員定数1の選挙区が増えれば、いわゆる死に票が増えることにもなります。自分が投票した人が議席を獲得できない有権者の数が増えるということです。

この問題について、これまで聞いてきた範囲での有権者のみなさんの声は、選挙区の見直しは当然、議員定数の削減もしたほうがいい、というのが大勢のようです。みなさんは、どうお考えですか?

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2006年1月25日 (水)

シリーズ生い立ち4・留学生編

インターナショナル・フェローシップ(IF)という団体の交換留学プログラムに参加し、高校1年生の9月から翌年の6月まで、アメリカ合衆国サウスダコタ州のウェブスターハイスクールに通いました。

サウスダコタ州はアメリカの中西部に位置し、「大草原の小さな家」の舞台になった広大な田舎です。夏は気温40℃、冬は-40℃という寒暖の差の激しいところで、わたしがホームステイしていたウェブスターは人口わずか2000人の小さな町でした。もちろん、日本人はほとんどいません。当時の語学力は英検2級の筆記試験にようやく通ったくらいで、とても実用に耐えられる状態ではなく、最初の1ヶ月は相当苦労しました。朝から晩まで英語のシャワーを浴びてすごし、夢の中まで必死で英語で話そうとする日々をすごして、ようやく英語に慣れてきたのは渡米して3ヶ月も過ぎたころだったでしょうか。

言葉というコミュニケーションの手段を封じられる状況にあって、逆にいかに多くの部分で言葉以外の手段によって意志を伝え合っているのかということが、とてもよくわかりました。

声に出す言葉だけではなく、頭の中で考えているその中身さえ違う言語で考えているのに、嬉しいとき、楽しいときは笑い、悲しいときは泣く、そういう感情をあらわす表現は、言語が違っても共通なのです。それは、当たり前のことなのですが、とても不思議で奇跡的なことに思えました。

さて、アメリカの高校に通う中で、なるほどと思ったことがありました。それは、“人と違う”ということがここでは当たり前だ、ということです。

見かけ上のことでいっても、髪の色、目の色、肌の色、みんなちがいます。それだけでなく、授業は自分でカリキュラムを組み立て、卒業に必要な単位を何年間かかけてとる仕組みになっているため、人によってある授業を何年次にとるかが異なり、同じ授業をちがう学年の生徒たちが一緒に受講しているのです。

もちろん、この学年の生徒が多い、ということはあるのですが、違う学年の生徒もまじっているし、そもそも飛び級などの制度もあり同じ学年でも年齢が違うのはそれほど珍しいことではありません。そんな中では、それぞれの人が違うことが当然のことで、人と違う自分に緊張し、周りに合わせようと必死に努力するようなことは、まったく必要のないことでした。

このことは、今後の日本の教育のあり方を考える上で大きなヒントになるのではないかと考えています。いまや、大量生産、大量消費、同じ規格のものを効率よく作ることでどんどん経済が成長していった時代は終わり、それぞれの個性を活かした多様なニーズに応えられる少量多品種の時代が到来しています。その社会経済のあり方そのものの転換期に対応するには、教育そのもののやり方も見直さなければならないのだと思うのです。

ほかにも、日本との違いに驚くことはたくさんありました。ビッグバンや進化論をまったくの作り話だと思っていること、今から15年以上前のことですが、すでに食器洗浄器や電気調理器が普通に使われていたこと、14歳から車の免許が取れること・・・。

人間の根本的な部分が変わらないのに、日本で当たり前と思っていたことがまったく当たり前ではない世界に出会ったことは、当然と思うことでも、立ち止まっていろんな方向から考え直してみるという習慣を身につけさせてくれました。

そしてたぶん、この経験が帰国後高校を退学し、大検を経て大学を目指すという選択に、そして他と違うことを恐れず行うというその後の人生に大きな影響を与えたのではないかなと思っています。(以下、次号)

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2006年1月24日 (火)

映画「日本国憲法」を観る会

「映画 日本国憲法」というタイトルのDVDがすごくよかったのでと貸していただきました。ちょうど、少し憲法についての勉強会をしていきたいと考えていたので、昨日ともの会で上映会を行いました。

日本国憲法の主に9条について日本だけでなくあちこちの国の人たちが思いを語るという内容で、とてもわかりやすく構成されていました。参加者からはどこかホールを借りて上映会をしたい、という声もありました。

憲法改正論議は現実味を帯びてきていますが、改正したほうがいい、という人が増えているものの9条に関しては変えたほうがいい、という人と変えないほうがいい、という人はほぼ拮抗しているようです。

しかし、単純に変えたほうがいいか、変えないほうがいいかということだけで議論するのではなく、「もう二度と戦争をしたくない」という願いを実現するために、どうすることが一番いいのだろうか、と考えることが必要な気がします。

答えは簡単にはでないのですが・・・。

みなさんもぜひ、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか?

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2006年1月22日 (日)

前鬼石町長 関口しげきさん

本年1月1日、鬼石町と藤岡市は合併し、新藤岡市が発足しました。この合併は編入合併だったため、合併に伴う市長選挙等は行われませんでしたが、藤岡市長の任期満了による市長選挙が4月23日に実施される予定です。

この市長選に、元鬼石町長の関口しげきさんが立候補する予定です。今日は、その関口さんのお話を聞きに藤岡公民館へ行きました。

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関口さんは地元鬼石町に建設された下久保ダムが名勝三波石峡の景観を破壊してしまったこと、ダム建設時に一時町が潤ってもその後は火が消えたようになってしまったことなどから、八ッ場ダムの建設に反対する意見を地元紙上毛新聞に投稿し、それがきっかけとなって八ッ場ダム建設をもう一度考え直そうと「八ッ場ダムを考える会」が発足した経緯があります。

これまで、八ッ場ダムを考える会の総会や学習会で何度かお会いし、お話をする機会があったので、藤岡市長選に立候補すると聞いてぜひ頑張ってほしいと思っていました。特に、八ッ場ダムの問題に関しては、藤岡市は利水に関して大口の利用者であり、八ッ場ダム見直しをずっと訴えてきた関口さんが藤岡市長になればこの問題についても進展があるのではないかとの期待もあります。

参考までに、関口さんの新生藤岡市をつくる政策提言にリンクしてみますので、ご覧ください。

ところで、提言の4番、少子化対策・子育て支援として第三子から100万円支給というのがあります。

藤岡市では毎年ばらつきがあるもののだいたい年間100人ぐらいの第3子以降の出生があるそうなので、この予算はおよそ1億円ぐらいになる計算です。

これについては、それだけの予算が確保できるのであれば、ほかにもいろいろと効果的な対策が考えられると思います。(たとえば、ファミリーサポート事業の利用費補助、一時間当たり500円を20万時間分行うことができます。2000人の子どもたちのサポートを1時間200円で一人年間100時間まで行うことができます。)とはいえ、それだけのお金を子育て支援にかけようという意欲はとてもありがたいことです。当事者の声を活かし、効果のある対策ができることを期待したいと思います。

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2006年1月21日 (土)

夢すばる「トークセッション」

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前橋市総合福祉会館で、NPO法人夢すばる主催のトークセッションが行われ、参加しました。先日、浅野史朗宮城県知事(当時)の講演会の際にもいらっしゃったNPO法人ふわりの理事長戸枝陽基さんと長野県・北信圏域障害者生活支援センター所長の福岡寿さんが夢すばる理事長の長居由子さんと主に4月から施行される障害者自立支援法について語るという内容でした。

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障害者自立支援法については、当事者、支援者の方たちの間では賛否両論あるようですが、その中身について、具体的でわかりやすいお話がありました。

障害者自立支援法の実際のシステムは介護保険の制度とかなり近いようで、制度の利用を希望する人はまず相談支援事業者に申し込みをすることになっています。そこで、利用申請をし、介護給付または訓練等給付希望する場合は、市町村によるしょうがい程度区分の一次判定が行われます。

その後審査会による二次判定などを経てしょうがいの程度により6段階の区分認定が出て、それに応じてサービスの利用を組み立て、審査を経て正式に支給が決定されます。

基本的に利用したサービスの1割負担が原則ですが、所得に応じて減免があります。

これまで身体・知的・精神としょうがいの種別により別々に提供されていたサービスが、一元化され、しょうがいの種別に関わらず利用できるようになること、当事者に一番近い市町村が責任をもってサービスの提供を行うこと、サービスの利用者も一部負担を行うと同時に国と地方自治体が責任を持って費用負担を行うこと、就労支援を強化すること、支給決定の仕組みの透明化と明確化を行うことなどによりしょうがいのある人々の自立を支えるというのがこの制度の目的であるとされています。

戸枝さんのお話では、現在500万人いるしょうがいを持つ人たちに対し、支援費等の予算額は1兆円程度であり、360万人の介護保険利用者に対しては6兆円以上の予算が使われていること、しかし、少子化や高齢化で財政が悪化することを考えれば福祉の予算が今後減ることはないにしても大幅に増額されることは考えにくいこと、そのため福祉に対して財源を確保していくには、介護保険と統合できる部分は統合し、それに含まれない部分については独自の制度を維持するというのがもっとも現実的な方法ではないかという趣旨の説明がありました。

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そして、これまでサービスを必要としている人が、本当にそれだけのサービスを利用してきたのかといえば、利用していない人のほうが多いこと、特に精神しょうがいについてはこれまでほとんどサービスの利用など対象にならなかったため、これからは利用できる範囲が広がるので、ぜひ制度をうまく利用してほしいということでした。

全体として、とても納得のいくお話だったのですが、でもこの制度の導入に強く反対する当事者団体の人たちもたくさんいるわけです。なぜだろう、と思ったのですが、こういうことかもしれません。

全体として制度が使いやすくなり、枠が広がったとしても、仮に市町村民税の課税世帯(一般)に該当するしょうがいしゃの方はこれまで負担がゼロだったとしても、4月からは毎月最高37200円支払わなければなりません。

やはり、一人一人の当事者にとっては、制度全体がうまくいくことも大事だけれど、自分の負担や利用できるサービスの内容がこれまでとどう変わるのか、ということに関心がいくのではないでしょうか。これまでより負担が高くなるならやはり抵抗があるし、安くなるならありがたい。これまで利用できたものが利用できなくなるなら困るし、利用範囲が広がるならありがたい、それが当然だと思います。

また、現在の利用できる施設やサービスの定員が限られている状況では、しょうがいの区分に応じて優先順序が決まってくるため、優先順序が低いとされた人は現在施設に入所している場合も5年後ぐらいをめどに引越ししなければならない場合もでてくるということでした。

もちろん、本当にサービスを必要としている人が、それほどでもない人より後回しになってしまうとしたら、問題です。でも、ある人がどれくらいサービスを必要としているのか、それをきちんと認定してもらえるのだろうか、ということは大きな不安要素だと思います。

信頼できる人を認定する人に選定するよう市町村に働きかけることなどが重要だとの指摘もありましたが、それと同時にこれまで以上に人選や審査過程の情報開示が必要になってくるのではないかと感じました。

そして、なにより制度の適切な運営を支える人材がそれぞれの市町村に存在するということが、とても大切なことです。市町村の責任は、これからますます大きくなるのだということが、よくわかりました。

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2006年1月20日 (金)

(仮称)太田植木野モール地元説明会に参加

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太田市植木野町185-6に新設される予定の(仮称)太田植木野モール地元説明会が開催され、参加しました。

この場所は、現在「カンケンプラザ」として、映画館、アミューズメント施設、温泉、ホームセンターや百円ショップ、チェーン展開している古書店などがあり、酒屋やスーパーなども併設されていることから、わたしもよく買い物に利用しています。

計画では、その南西側の土地にさらにベルク(スーパー)、マツモトキヨシ(薬局)、西松屋(ベビー用品)、衣料品販売店などを出店し、ショッピングモールとしてさらに規模が拡大される見込みです。

建物は鉄骨平屋建で店舗の総面積は4207㎡、駐車場台数は345台で、最も遅くまで営業するベルクは、午前8時から午後2時まで営業を行います。店舗の新設は今年の8月6日ということでした。

説明会には地元の方々およそ30名余りが参加し、特に周辺住宅との境がどうなるのか、駐車場が狭すぎるのではないか、近隣への騒音対策はどうか、などさまざまな質問が出ました。また、道路の拡幅が必要ではないかという質問に対しては、これについては行政のほうでやってもらえるならいくらでも協力するが、これまで働きかけてきた範囲ではなかなかすぐに解決できそうにない、ということでした。

新規出店とはいえ、すでに隣接して大規模な店舗が設置されているため、質問の中身も今後の不安だけではなく、今現在ある問題も含め、解決を要望するようなものもありました。

説明者側では、一つ一つの質問に対し、解決にむけた対策をとる旨丁寧に回答していましたが、近隣住民のみなさんの不安を完全に払拭するのは難しいものです。今後、工事開始後においても、困りごとや苦情があればいつでも相談できます、ということでお開きになりました。

いずれにしても、計画段階ではわからない問題が、実際にできてから出てくることもあると思います。小さな問題に対してもきちんと対応する体制があることが重要だと感じました。

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余之助のランチ

NPO法人よろずや余之助をご存知ですか?太田市役所のちょっと西の方にある、喫茶店兼よろず相談所兼民間公民館のようなところです。

手作りのランチが安くておいしいので、ときどき利用しています。

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今日は「本日のランチ」がちょうど売り切れてしまったので、うどんランチを頼みました。

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ランチは他にカレーランチ、やきそばランチがありますが、どれも500円で食べられます。やきそばランチもピリッと辛くておススメです。

理事長はこの人、桑原三郎さんです。

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太田NPO法人連絡協議会の副会長でもあります。本職はガレージをつくる会社の社長さんだそうです。みなさんも、機会があったらぜひ寄ってみて下さい!

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2006年1月18日 (水)

東毛地区の子育て情報HP作成中です!

平成17年度ぐんま子育て塾事業の一環として、主に東毛地区を中心とした子育て情報のHPを作成中です。

子育て情報のHPというのは、全国版や群馬県版などでそれなりにあることはあるのですが、東毛地域に限定してみてみると情報の量がやや少ない状況です。お出かけ情報や託児所等の情報についてはネットで検索しても地理的に近いものしか利用できない場合が多いため、地域を限定した情報もそれなりに利用価値があると思っています。

現在、リンク集や取材などHP開設の準備を行っているところですが、もし「こういう情報がほしい!」とか「ここは便利な施設だよ!」などのアドバイスがありましたら、ぜひお寄せください!参考にさせていただきます。

開設時の段階では、すべて網羅した、とまではいかないかもしれませんが、徐々に内容を拡充して使い勝手のよいHPにしたいと思いますので、ご協力お願いします。

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2006年1月15日 (日)

竹中平蔵大臣の政務秘書官

中央省庁および地方公務員や地方議員でつくる「ソーシャルアクションスクール」(通称竹中塾)という勉強会で竹中平蔵大臣の話を聞く機会があるというので、ぜひ一度ナマ竹中さんを見てみたいと東京まで出かけました。

会場は古巣(?)早稲田大学ということで、なつかしさもありとても楽しみにしていたのですが、ついてみるとなんと竹中さんは急に仕事の関係で出席できなくなってしまったというのです!

いったい何のために時間とお金をかけてここまで来たんだろうと本当にがっかりしたのですが、実はそのせいで、とっても面白い人の話を聞くことができました。(竹中さんはビデオでの出演でした。)

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大臣がこれなくなってしまったので、代わりに政務秘書官の方が話をします、というアナウンスがあったので、政務秘書官って、そういう仕事もするんだ、大変だな~などと思いながら見ていると、舞台上にメガネをかけてジーンズをはいた痩身の若い人が身軽く登場しました。そのちっともえらそうでも公務員っぽくも見えないお兄さん(失礼!)が竹中大臣の政務秘書官、岸博幸さんでした。

岸さんは今43歳。経済産業省(旧通産省)の出身で、有識者の会議の事務局をしているときに竹中さんに会い、その後もときどき話をしたりしているうちに見込まれて、竹中さんが大臣となったときに請われて政務秘書官となったそうです。

見かけだけでなく話し方や話の中身もとてもくだけていて、わたしの持っていた“政務秘書官”というものへのイメージとはかけ離れた「大臣と政務秘書官の関係」を垣間見せてくれました。

あまりにもくだけたお話し振りだったので、その通りここに書いてしまっていいのかどうか悩んでしまうくらいなのですが、かいつまんで書くとあまりにも年配の人ばかりが政治や経済の実権を握っていること、その人たちが既得権益をがっちりつかんで離さないでいることが日本の行き詰まりの原因であるということ、しかし逆に言えば今の状況は変えようとする人にとって見ればチャンスであり、その状況を変えられないとすれば変えられないほうが逆にふがいないのではないか、というようなことでした。

岸さんが一つ例としてあげたのは、音楽配信についてでした。いまから10年ぐらい前にCDを売るという当時の販売形態に対し、今後インターネットが普及し音楽を簡単にダウンロードできるようになると市場のあり方がまったく変わってしまうから、今からそれを見越して対策を立てなければと提言したそうです。ところが、当時の業界の人たちは今のやり方を変えられず、去年のクリスマス商戦ではiPodにすっかり市場を奪われてしまったのです。岸さんは、今後も既得権益を守ろうとぐずぐずしていると結果的においしいところを全部外資にさらわれてしまうようなことがどんどん起こるだろうから、それを防ぎたいと思ったら変わらざるを得ないのだと指摘しました。

また、最近メディアをにぎわせている「竹中さんが総理候補!」という話題はまったくありえないことで、本人もその気はないし自分としてもそうさせるつもりはないということ、けれど何度否定してもマスコミはそう書きたがる、面白そうなことならどんどん記事にしてしまうという面がマスコミにあるということを念頭に置く必要がある、とか、「省庁再々編」は自分が仕掛け人になって竹中大臣に発言してもらっている、というようなうちわの話もしてくれました。

「自分はたくさんやりたいことがあるので、明日にでも政務秘書官をやめても一向に構わない、経済産業省も辞めたいと思っているくらい」という岸さんの、仕事を失うことを恐れずいうべきことをいう、という態度とそれを受け入れる竹中さんの度量がこのとても興味深い大臣と政務秘書官の関係をつくりあげているようです。

竹中さんは、小泉内閣の中枢とも言うべきブレーンですが、そのブレーンにもやっぱりブレーンがいて、その若さと発想の斬新さが実は小泉内閣の活力源になっているのかも、と感じさせられました。

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2006年1月12日 (木)

車を探しています。

前回の県議選のときずっと手伝ってくれた、勢多郡東村の出身で、今は東京の手塚よしお前衆議院議員の秘書をしている、蓮くんという仲間がいます。これまでも、いろんな選挙の応援で一緒に活動してきたのですが、いよいよ来年の統一地方選にチャレンジするため4月に群馬に帰って来る予定です。

チャレンジはよいのですが、貯金が3万円しかないそうで、帰って来ても車も買えないような状況です。群馬では車なしで暮らすのはかなり無理がある上に、選挙の準備をしようと思ったらあちこち行かなければならないので、車がないと活動自体に相当支障があります。そこで、もしもう廃車にしようかと思っているような車をお持ちの方がいらっしゃったら、譲っていただけないでしょうか?

できれば、選挙カーにもつかえるワゴンタイプ(ハイエースロングなど)がいいのですが、普通車タイプでもお心当たりがありましたらぜひご連絡ください!

ちなみに、なぜ貯金が3万円しかないかといえば、蓮君の場合は学生時代から議員を目指していたために勉強もかねて学生秘書から私設秘書へというコースを歩んでいたわけですが、きちんと活動している政治家の人はいつでもお金はぎりぎりですから、とても貯金ができるようなお給料をもらうことはできなかったと言っていました。ビンボーな人間ばかりが集まって政治を変えようと取り組んでいます。その分、弱者に優しい政治ができるかと思いますので、ぜひご支援よろしくお願いします 。 (^ ^;

おまけ:今朝も伊勢崎までいってきました!

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2006年1月11日 (水)

シリーズ生い立ち3・高校時代編

プロフィールを見てもらえばわかるのですが、高校時代といってもわたしは1年生しか修了していません。在籍期間でいうと2年なのですが、1年の1学期を終了後9月から翌年6月まで米国サウスダコタ州のウェブスター高校に留学していました。帰国後、年齢でいうと1年下の学年に入って2学期、3学期を修了し、その時点で退学。その年の夏に大検(大学入学資格検定)を受験し、翌年大学を受験しました。

実質1年しか通っていない割には愛着のある母校は県立太田東高校です。新設校で、入学当時は5期生でした。太高、太女(太田高校と太田女子高校)に追いつけ、追い越せ、ということで校則なども相当厳しく、靴下の色や髪をしばるゴムの色、スカートの丈まで厳しくチェックされたことをなつかしく思い出します。

中学生の頃からそうだったのですが、校則には相当反発するほうで、先生方にとっては扱いにくい生徒だったかなと思います。高校はアルバイトが禁止だったのですが、我が家が常にお金がない騒ぎをしていたので、一律にアルバイト禁止なのはおかしいと全校生徒から校則見直しの署名を集めて提出したこともありました。

服装の規定についても、自分自身のことなのだから、自分で決められないのはおかしいと思い、同じ校則違反をしても成績やその生徒の性格などによって注意される生徒とそうでない生徒がいることに憤って、その頃長く伸ばしていた髪を生徒指導の先生の目の前でわざと解いて困らせたことはいまでも覚えています。

以前、県議会の傍聴に行ったときにちょうど高校生の服装について質問していた議員の人がいて、まさにわたしが高校生当時だったときに散々言われていた「服装の乱れは心の乱れ」というようなことをいって指導強化を求めていた場面を見ました。今思えば先生方も、そういう外部からのプレッシャーとの板ばさみになっていた部分もあるのかもしれません。

けれど、散々困らせたと思われる退学当時の担任の先生は、わたしが学校をやめるときに暖かく送り出してくれて、期待しているといってくれました。また、わたしが退学するのと同時期に学校をやめて新たに大学に入りなおすという先生がいて、お互いがんばろう、と言ってくれたこともいい思い出になっています。

もうひとつ、高校時代は演劇部に所属していたのですが、入った当初は演劇部がなく、2年生の先輩と一緒に同好会を作り、2年目に部に昇格して高校演劇祭などにも参加しました。学校以外でも以前から近所の仲間たちとやっていた子ども劇団を本格化し、他の高校の生徒や中学生、小学生も参加して社教センターのホールなどを借りて公演しました。

大人のいない劇団ということで、ホールを借りるのにひどく苦労し、散々交渉したのですが、そのことで、この社会は大人がつくっている社会で、子どもだけで活動するのにはとても高いハードルがあるのだと実感したものです。

さて、またまた長くなりましたが、次回は留学時代のことを書いてみたいと思います。

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2006年1月10日 (火)

浄化槽の定期検査

先日活動報告を配っていたときに、「浄化槽の定期検査が、今まで2年に一度だったのが今年度から毎年になって、費用負担が実質倍増したのは、いったいどういうことなのか調べて欲しい」というご相談を受けました。

浄化槽の定期検査を請け負っているのは、群馬県環境検査事業団という県の外郭団体だということだったので、早速電話し、状況を聞いてみました。

すると、窓口の方の説明では、

・法定検査は毎年行わなければいけないことになっているのだけれど、今までは検査員の人手が足りなくて手が回りきらなかったため、5年に1度くらいの検査になっていた。

・浄化槽関係の業者や団体の人とどうしたらいいか何度も話し合っていたが、ようやく去年話がまとまって、検査を民間の事業者で講習等を受けて資格を取得したところに委託することになり、人手が増えたので検査ができるようになった。

・そのため、今年度からは毎年行うことになった。

というのです。

しかし、普通に考えて、今まで数年に一度でよかった検査をいきなり毎年にしますといって、はいそうですかと通るものでしょうか?検査費用は一回5000円ですが、仮に5年に1度受けていたものが毎年になるとすれば5倍の値上げになるわけです。

この法定検査を義務付ける根拠法である「浄化槽法」は昭和58年に施行されていますが、それからいままで20年以上実際には毎年の検査が行われていなかったとすれば、急に今年度から毎年にしますといわれても、納得できなくて当然ではないでしょうか?

しかも、浄化槽の維持管理は通常行政から認められた指定業者に委託して行っているのですから、維持管理がきちんと行われているかどうかはその業者が責任を持つべきことで、毎年の維持管理のほかに検査費用まで持ち主が負担するのは、二重取りではないか、と相談してきた方が憤慨していましたが、まったくそのとおりだと思います。

いままで5年に一回の検査で汚水処理の機能に問題がないのであれば、そもそも毎年の検査を義務付ける法律のほうが間違っているように思えます。また、公共事業はじめ様々な場面で見え隠れする、規制と天下り先と業界団体という構図がここでも感じられます。

「なんとか事業団とかいう役人の天下り連中が人からお金を取ることばっかり考えている、おかしいじゃないか!」という相談者の言葉に、すべてがあらわれているのではないでしょうか。

汚水の処理に関するすべての情報を公開し、検査体制や必要な経費など、法律をつくる側・それを管理する行政・利用する市民、それぞれが納得できるしくみをもう一度つくりなおすべきだと考えます。

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2006年1月 8日 (日)

シリーズ生い立ち2・中学時代編

 昨日は本当に寒くて、靴下二枚はいても、カイロを二個ポケットに入れていても、鼻も指先も真っ赤になってしまい、しゃべる言葉は口が回らず、文字を書こうとしても手がかじかんでミミズがのたくったような字になってしまうという状況でした。

 そんな状況の外回りから帰ってくると、部屋の中のあたたかさに頭がぼーっとなってしまい、数もかぞえられないし、パソコンも向かったきり時間だけが流れていって、とても記事を書くどころではなく、あとはただひたすら食べて寝るだけになってしまいます。

 とブログを書かなかった言い訳。

 そんなわけなので、今日は先にブログを書いてしまいます。

 中学校は太田市立北中学校に通いました。ちょうど城東中学ができる直前で、妹は1年北中、2年城東中に通ったのですが、わたしは3年間北中でした。分離直前で、1学年11クラスもあるマンモス校時代でした。

 徒歩通学の一番遠いところで、学校までおよそ2キロの距離を毎朝走って通っていました。トレーニングのためではなく、朝少しでも長く寝ていられるように、という理由でしたが(^ ^;、体力をつけるには効果があったようで、マラソン大会ではいつも上位50番ぐらいには入っていました!

 当時、北中は新聞沙汰になったぐらい学校が荒れていて、「いじめ」「校内暴力」などの問題が全国的にも頻繁に新聞にとりあげられていました。そして、わたしはまさにその渦中の人(?)でした。といっても、いじめっ子だったわけじゃありません。いじめられっ子だったんですね。特に、1年生の頃は心理的、精神的な暴力はもちろん、殴るける、ものを壊されるなどまさにいじめの総合商社(!)といいたくなるぐらいいろんないじめを経験しました。

 そんな中でわたしが考えていたことは、今から思えばいじめを助長しかねないような生意気なことでした。

 その頃、いじめが原因で自殺してしまったり、登校拒否になったりという事件が社会問題化していたわけですが、わたしはなぜか、つらいことや苦しいことがあるからといってマイナスの行動をとったら、負けだと考えていました。誰だって、悲しいことや苦しいことは避けて通りたいものです。でも、悲しいことや苦しいことがあることで、学ぶことはたくさんあります。人の痛みや苦しみを理解できるようになったり、嬉しいことや楽しいことの価値をより実感することができたり。選べるものなら避けて通りたい経験をすることができるというのは、逆に言えばそれだけ自分自身にとって得がたい経験で、いつか必ず、それを生かすことができるはずだ、だから、逆に言えばこれはチャンスなんだ、と屁理屈をこねて考えていました。

 悲しいことがあっても、自分は不幸な人間なんだと思わないで、その経験を自分にとってプラスにすることができれば、逆にラッキーな経験ということになります。言うのは簡単でも、実際にそう思うのは簡単だったわけではなく、学校帰りに誰にも見つからないところに入り込んでこっそり泣いて帰るようなことは日常茶飯事でした。でも、その経験は今でもわたしの人生やものの見方、考え方に大きな影響を与えていると思います。

 どんなにつらく苦しいことがあっても、生きている限りはそれを自分の経験として後々生かすことができます。でも、死んでしまったら、もうそれを生かすことはできません。この経験は、子どもを生むという経験と2本柱としてわたしの中で命を大切にしなければという気持ちの根源となっています。

 そしてもうひとつ、わたしが考えていたのは、いったいなぜわたしをいじめる子たちは、そういうことをするのか、ということです。自分や、その子たちに個人的な原因があると考えることは簡単ですが、それだけではないとわたしは思っていました。

 いじめっ子といじめられっ子の間には大きな溝があって、それは超えられないものか、というとそうではありません。昨日までいじめっ子のグループにいた子が一転していじめられっ子になるような状況も、多く見かけました。それは、本当にささいなことが原因なのです。しかも、子どもだけでなく、大人になってみれば大人の間にも、子ども時代ほどあからさまではないにしてもその分陰湿で根の深いいじめがはびこっています。

 いじめられる子にもいじめられやすい要因はあるかもしれませんが、いじめる子にもいじめにつながる心の重荷があるのだ、とわたしは考えていました。今も、その考えは変わっていません。人は、自分が満ち足りて幸福であれば人を攻撃したり傷つけたり不幸にしたりしたいとは思わないものだと思います。自分自身が不幸であるからこそ、その傷を回りに広げていってしまうのだと思います。

 当時は(今でもそうかもしれませんが)、先輩後輩の関係が厳しく、ちょっとしたことで後輩の子が先輩の子から制裁されるようなこともよく聞きました。そして、そういう厳しい先輩の態度につらい思いをしたはずの子たちが、じぶんが先輩の立場にたつと今度は後輩に対して同じことをするのです。

 誰かが、どこかで、その不幸と抑圧の連鎖を止めなければいけない。だから、わたしはわたしをいじめる子たちを決してきらったり憎んだりしない。それをひろげることはしない。そう必死に自分に言い聞かせていました。

 当時は、自分自身が生き抜くために考え出した無理やりの考えだったと思います。でもいまも、その当時の想いが政治に取り組む姿勢に結びついている気がします。学校という閉じた世界の中で、いろんな矛盾やストレスが噴出す、そのひとつの形がいじめであって、根本的な解決のためにはその矛盾を少しずつでも変えていかなければならないのだと思うのです。

 さて、長くなってしまいましたが、次回は高校時代について書いてみたいと思います。お楽しみに!

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2006年1月 6日 (金)

朝宣参加!

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伊勢崎市中央町、西友前。午前8時前後。吹きすさぶ寒風の中、朝宣(朝、街頭に立ち手を振って通勤の車や人に挨拶する宣伝活動)に立つみよしさんの旗持ちをしてきました。

あまりの寒さに振っているその手は真っ赤になっています。行き交う車からは手を振り返したり、笑顔で会釈してくれる方もいます。みよしさんは年頭から平日毎朝場所を変えて朝宣をしています。

伊勢崎までは50分ぐらいかかるので、今朝は6時に起きました。まだ薄暗く、なかなかベッドから起きる勇気がもてず15分ぐらいジタバタしていましたが、なんとか起きて行くことができました。いつもは夜型で早起きは苦手なのですが、たまに早く起きるとなんだか一日が長く感じられます。

これからも、ときどき参加する予定なので、もし見かけたら、ぜひ声をかけてやってください!がんばるぞ!

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2006年1月 4日 (水)

看板のシール貼り

政治活動用の看板というのをご存知ですか?20060104130801

まちのあちこちにおいてある、名前やキャッチフレーズの書いてある細長いやつです。最近は、写真やイラストが入っていることもあります。この看板は、設置できる枚数が決まっていて、一定期間ごとに選挙管理委員会に申請して規定の枚数内のシールをもらい、貼っておかないと立てることができません。

県議および県議選の候補者等(立候補予定者を含む)の場合、本人分が6枚、後援会分が6枚で合計12枚立てることができます。

ちょうど貼り換え期間となったため、今日は市内の看板を立ててあるところをまわってシールを貼ってきました。

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長い間雨ざらしになっているので、看板はホコリだらけ。雑巾でよく拭いて。

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古いものの上に新しいシールを貼ります。これで平成21年まで立てておくことができます。

この写真、携帯のカメラを切り替えて自分で取ったのですが、やっぱりなんだか変ですね(^ ^;。

ところで、写真に写っている看板は、どこに立っているものかお分かりですか?1番目と3番目の写真の看板は同じところのものです。2番目は、あてるのは難しいかな?わかったかた、ぜひメールで答えを教えてください!当たった方には・・・プレゼントはありません。ごめんなさいm(_ _)m。

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2006年1月 2日 (月)

シリーズ生い立ち1・子ども時代編

これまで日々起こったことを中心に書き連ねてきましたが、今回は趣向を変えて自分自身の生い立ちについてちょっと詳しく書き込んでみたいと思います。

政治活動をしていて一番よく投げかけられる質問は、「なんで政治家になろうと思ったの?」です。簡単に言えば、「社会や制度の不具合のために悲しい思いをする人を一人でも減らしたいから」なのですが、そう思うようになった経緯はたぶん自分の性格と、これまで生きてきた生い立ちの中にあると思います。質問した人も、たいていは「何をするために政治家になりたいのか」ということではなく、「政治家になろうと思うにいたった経緯」が知りたいようです。

そこで、わたしの生い立ちについて、少し順を追って書いてみたいと思います。

第二次ベビーブームのはしりとして昭和46年に生まれ、保育園は3年保育でこまどり保育園、小学校は太田市立韮川小学校に通いました。はしかにかかって入学式の次の日から2週間学校を欠席し、登校再開したときには転校生のような気分でした(実際には転校生だったことはないのでわかりませんが)。チャイムが鳴ってみんながいそいで教室に戻るのを見て、なんでみんな走っているのだろうと不思議に思ったことを覚えています。

うちにはいつもお金がなく、しかも母の教育方針は厳しく、服といえば年長のいとこたち(ほとんどは男の子)のおさがり、おやつも買うことはほとんどなく、母の手作りのホットケーキや蒸しパンなどで、小学校に上がる前に妹とテレビのチャンネル争いをしたことがきっかけとなりテレビも一切見せてもらえず、冬でも半そで半ズボンですごすという、今から思えばとっても変わった子ども時代でした。

小学生の話題はテレビかお菓子の話が多く、学校の友人たちの話題にはまったくついていけませんでした。まわりからみると相当変な子どもだったのだと思うのですが、小学校の高学年ぐらいまでは自分が変わっているということにちっとも気づいていませんでした。

また、本を読むのがとっても好きで、そのころ出版されていた児童書や童話はたいてい知っていると思います。読むだけでなく、それを現実にやってみたくて、近所の友人たちと一緒に子どもだけの劇団を結成し、祖父の家の離れに劇場をつくって上演したりしていました。

物語だけではなく、外国の習俗などについて書いてある本を読んで、ハロウィンやイースターなど、その頃はまだ日本にはちっとも根付いていなかったお祭りをやってみたり、野外生活の本を読んで竹細工や木細工をしたり、火の起こし方やテントの張り方を練習したり、木登りをするのはもちろん、あまり高くない枝の上から地面に飛び降りる練習をしたりと、学校以外での生活はとっても充実していて活発な子どもだったと思います。さんざん変わった経験に付き合わされた妹や近所の仲間たちにはいい迷惑だったかも・・・(^ ^;

さて、そんなわたしがどのようにして政治の道に足を踏み入れることになったのか、続きをお楽しみに!

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2006年1月 1日 (日)

初詣街宣に参加!

新しい年になりました!

昨年4月末にブログを開設してからおよそ8ヶ月。たくさんの方にこのブログを読んで頂きました。本当にありがとうございます!

今年は自分自身の挑戦する選挙直前の年。これまで以上にたくさんの人と会い、たくさんの声を聞いて、その声を議会に届けるために集中して活動していきたいと思います。ご支援よろしくお願いします!

さて、その決意も新たに年越しを迎えたのは伊勢崎神社前。初詣に集まった伊勢崎市民の皆さんにご挨拶するため街頭に立ったみよしさんの旗と資料を持って「あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願いします!」と声を張り上げます。

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こんな時間に、こんなにたくさんの人が初詣をするんだ、と(それを期待して来ているんですが)内心びっくり。先日も書きましたが、伊勢崎神社は街中の小さな神社で、遠くから参拝の人が来る有名な神社という感じではありません。にもかかわらず、おおみそかの夜11時40分ぐらいに行ったときにはもう黒山の人だかりで、1時を過ぎてもなかなか人波が切れず、終了のタイミングをはかるのが難しいぐらいでした。

それにしても、寒かった!靴下二枚はいていって正解でした!

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