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2006年1月11日 (水)

シリーズ生い立ち3・高校時代編

プロフィールを見てもらえばわかるのですが、高校時代といってもわたしは1年生しか修了していません。在籍期間でいうと2年なのですが、1年の1学期を終了後9月から翌年6月まで米国サウスダコタ州のウェブスター高校に留学していました。帰国後、年齢でいうと1年下の学年に入って2学期、3学期を修了し、その時点で退学。その年の夏に大検(大学入学資格検定)を受験し、翌年大学を受験しました。

実質1年しか通っていない割には愛着のある母校は県立太田東高校です。新設校で、入学当時は5期生でした。太高、太女(太田高校と太田女子高校)に追いつけ、追い越せ、ということで校則なども相当厳しく、靴下の色や髪をしばるゴムの色、スカートの丈まで厳しくチェックされたことをなつかしく思い出します。

中学生の頃からそうだったのですが、校則には相当反発するほうで、先生方にとっては扱いにくい生徒だったかなと思います。高校はアルバイトが禁止だったのですが、我が家が常にお金がない騒ぎをしていたので、一律にアルバイト禁止なのはおかしいと全校生徒から校則見直しの署名を集めて提出したこともありました。

服装の規定についても、自分自身のことなのだから、自分で決められないのはおかしいと思い、同じ校則違反をしても成績やその生徒の性格などによって注意される生徒とそうでない生徒がいることに憤って、その頃長く伸ばしていた髪を生徒指導の先生の目の前でわざと解いて困らせたことはいまでも覚えています。

以前、県議会の傍聴に行ったときにちょうど高校生の服装について質問していた議員の人がいて、まさにわたしが高校生当時だったときに散々言われていた「服装の乱れは心の乱れ」というようなことをいって指導強化を求めていた場面を見ました。今思えば先生方も、そういう外部からのプレッシャーとの板ばさみになっていた部分もあるのかもしれません。

けれど、散々困らせたと思われる退学当時の担任の先生は、わたしが学校をやめるときに暖かく送り出してくれて、期待しているといってくれました。また、わたしが退学するのと同時期に学校をやめて新たに大学に入りなおすという先生がいて、お互いがんばろう、と言ってくれたこともいい思い出になっています。

もうひとつ、高校時代は演劇部に所属していたのですが、入った当初は演劇部がなく、2年生の先輩と一緒に同好会を作り、2年目に部に昇格して高校演劇祭などにも参加しました。学校以外でも以前から近所の仲間たちとやっていた子ども劇団を本格化し、他の高校の生徒や中学生、小学生も参加して社教センターのホールなどを借りて公演しました。

大人のいない劇団ということで、ホールを借りるのにひどく苦労し、散々交渉したのですが、そのことで、この社会は大人がつくっている社会で、子どもだけで活動するのにはとても高いハードルがあるのだと実感したものです。

さて、またまた長くなりましたが、次回は留学時代のことを書いてみたいと思います。

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コメント

こんにちは。
時々拝見させていただいております。

あべさんは高校演劇の方だったのですね!!
実は私も高校時代、演劇部に所属しておりました。
同じ時代に同じ地域で活動していたのか!と思わず出てきてしまいました。
同じ大会に参加していたのかもしれませんね。

投稿: 船津桂子 | 2006年3月17日 (金) 16時38分

船津さんお久しぶりです!船津さんも演劇部だったとは……!演劇部時代の思い出は結構いろいろあるので、また今度お会いするときは、その話題で盛り上がりましょう!

投稿: ともよ | 2006年3月21日 (火) 11時06分

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