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2006年1月 8日 (日)

シリーズ生い立ち2・中学時代編

 昨日は本当に寒くて、靴下二枚はいても、カイロを二個ポケットに入れていても、鼻も指先も真っ赤になってしまい、しゃべる言葉は口が回らず、文字を書こうとしても手がかじかんでミミズがのたくったような字になってしまうという状況でした。

 そんな状況の外回りから帰ってくると、部屋の中のあたたかさに頭がぼーっとなってしまい、数もかぞえられないし、パソコンも向かったきり時間だけが流れていって、とても記事を書くどころではなく、あとはただひたすら食べて寝るだけになってしまいます。

 とブログを書かなかった言い訳。

 そんなわけなので、今日は先にブログを書いてしまいます。

 中学校は太田市立北中学校に通いました。ちょうど城東中学ができる直前で、妹は1年北中、2年城東中に通ったのですが、わたしは3年間北中でした。分離直前で、1学年11クラスもあるマンモス校時代でした。

 徒歩通学の一番遠いところで、学校までおよそ2キロの距離を毎朝走って通っていました。トレーニングのためではなく、朝少しでも長く寝ていられるように、という理由でしたが(^ ^;、体力をつけるには効果があったようで、マラソン大会ではいつも上位50番ぐらいには入っていました!

 当時、北中は新聞沙汰になったぐらい学校が荒れていて、「いじめ」「校内暴力」などの問題が全国的にも頻繁に新聞にとりあげられていました。そして、わたしはまさにその渦中の人(?)でした。といっても、いじめっ子だったわけじゃありません。いじめられっ子だったんですね。特に、1年生の頃は心理的、精神的な暴力はもちろん、殴るける、ものを壊されるなどまさにいじめの総合商社(!)といいたくなるぐらいいろんないじめを経験しました。

 そんな中でわたしが考えていたことは、今から思えばいじめを助長しかねないような生意気なことでした。

 その頃、いじめが原因で自殺してしまったり、登校拒否になったりという事件が社会問題化していたわけですが、わたしはなぜか、つらいことや苦しいことがあるからといってマイナスの行動をとったら、負けだと考えていました。誰だって、悲しいことや苦しいことは避けて通りたいものです。でも、悲しいことや苦しいことがあることで、学ぶことはたくさんあります。人の痛みや苦しみを理解できるようになったり、嬉しいことや楽しいことの価値をより実感することができたり。選べるものなら避けて通りたい経験をすることができるというのは、逆に言えばそれだけ自分自身にとって得がたい経験で、いつか必ず、それを生かすことができるはずだ、だから、逆に言えばこれはチャンスなんだ、と屁理屈をこねて考えていました。

 悲しいことがあっても、自分は不幸な人間なんだと思わないで、その経験を自分にとってプラスにすることができれば、逆にラッキーな経験ということになります。言うのは簡単でも、実際にそう思うのは簡単だったわけではなく、学校帰りに誰にも見つからないところに入り込んでこっそり泣いて帰るようなことは日常茶飯事でした。でも、その経験は今でもわたしの人生やものの見方、考え方に大きな影響を与えていると思います。

 どんなにつらく苦しいことがあっても、生きている限りはそれを自分の経験として後々生かすことができます。でも、死んでしまったら、もうそれを生かすことはできません。この経験は、子どもを生むという経験と2本柱としてわたしの中で命を大切にしなければという気持ちの根源となっています。

 そしてもうひとつ、わたしが考えていたのは、いったいなぜわたしをいじめる子たちは、そういうことをするのか、ということです。自分や、その子たちに個人的な原因があると考えることは簡単ですが、それだけではないとわたしは思っていました。

 いじめっ子といじめられっ子の間には大きな溝があって、それは超えられないものか、というとそうではありません。昨日までいじめっ子のグループにいた子が一転していじめられっ子になるような状況も、多く見かけました。それは、本当にささいなことが原因なのです。しかも、子どもだけでなく、大人になってみれば大人の間にも、子ども時代ほどあからさまではないにしてもその分陰湿で根の深いいじめがはびこっています。

 いじめられる子にもいじめられやすい要因はあるかもしれませんが、いじめる子にもいじめにつながる心の重荷があるのだ、とわたしは考えていました。今も、その考えは変わっていません。人は、自分が満ち足りて幸福であれば人を攻撃したり傷つけたり不幸にしたりしたいとは思わないものだと思います。自分自身が不幸であるからこそ、その傷を回りに広げていってしまうのだと思います。

 当時は(今でもそうかもしれませんが)、先輩後輩の関係が厳しく、ちょっとしたことで後輩の子が先輩の子から制裁されるようなこともよく聞きました。そして、そういう厳しい先輩の態度につらい思いをしたはずの子たちが、じぶんが先輩の立場にたつと今度は後輩に対して同じことをするのです。

 誰かが、どこかで、その不幸と抑圧の連鎖を止めなければいけない。だから、わたしはわたしをいじめる子たちを決してきらったり憎んだりしない。それをひろげることはしない。そう必死に自分に言い聞かせていました。

 当時は、自分自身が生き抜くために考え出した無理やりの考えだったと思います。でもいまも、その当時の想いが政治に取り組む姿勢に結びついている気がします。学校という閉じた世界の中で、いろんな矛盾やストレスが噴出す、そのひとつの形がいじめであって、根本的な解決のためにはその矛盾を少しずつでも変えていかなければならないのだと思うのです。

 さて、長くなってしまいましたが、次回は高校時代について書いてみたいと思います。お楽しみに!

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コメント

こんにちは。メルマガの読者の一人です。
あべともよさんには、太田に来て初めて行った女性のセミナーで発言されていたのが印象的で、ずっと覚えていました。
あべさんの生い立ちを読んで、最後のパラグラフのclosed societyのくだりは、私が帰国子女で苦労した頃にイメージしていた学校そのものです。言葉ではうまく説明できないので、ななんとなく「生きづらいな」と思う狭い世界でした。大人でもそれはあるように思います。
つらい事から学び、世の中の行きづらさを良くしていこうと考える方がいらっしゃって、ほっとします。応援しています。

投稿: yuh | 2006年1月10日 (火) 20時24分

yuhさん、コメントありがとうございます!
励ましていただいてとても嬉しいです。元気が出ます。ご期待に応えられるよう、今年もがんばって活動していきますので、よろしくお願いします!

投稿: ともよ | 2006年1月11日 (水) 15時58分

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