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2005年11月10日 (木)

金山歴史散歩

秋たけなわの金山で、献上松茸の歴史を聞きながらハイキングしてきました。

尾島町教育委員会主催の成人学級の一環です。良く晴れて、日差しは暑いくらいですが、日陰に入るとひんやりとして、少し山を歩いて汗ばんだ後に立ち止まってお話を聞くとだんだん寒くなってきます。でも、本当に気持ちの良い時間をすごすことができました。

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小さい頃、近所のともだちと「金山探検クラブ」なるものを結成し、お弁当を持って道なき道をたどって何度か頂上を目指したことがあります。

その頃と比べると、頂上はかなり整備され、訪れる人も増えているような気がします。けれど、その頃あった売店は、もう何年も前に閉店してしまったそうで、建物は締め切られて寂しい感じがしました。

今日は、整備された頂上の裏手へ回り、細い舗装されていない道を20分ほど歩いて根本山と呼ばれるあたりまで行って来ました。

かつて、金山では幕府に献上する松茸が生産され、多いときは年間三千本近くも献上されたそうです。太田では、その松茸道中を記念して、再現するお祭りなどもながく続いています。

けれど、その松茸は「長吏」と呼ばれた山の管理をする人たちが、草や落ち葉がたまって通気性が悪くならないよう、年間を通じて見回り、手入れをしていたからこそできたもので、彼らはそれほど苦労してその生産に従事していたにもかかわらず、その松茸を口に入れることはおろか、その業績が歴史の中で振り返られることさえまれであり、わたしたちはそのことの意味をもう一度考えて見る必要があるのではないか、という趣旨の説明がありました。

確かに、自分自身を振り返っても、松茸道中のお祭りのイメージはあっても、その陰で実際に松茸を作っていた人たちの苦労に思いをはせたことは、正直なかったような気がします。

根本山の頂上には、そのころの山の管理人の名前を刻んだ小さな祠があり、そのとなりには、来た人たちがつんでいったのであろう、小さなケルンがありました。

帰りがけに、わたしが小さい頃から変わらずそびえたつ、頂上の大きなケヤキの写真を撮ってきました。樹齢750年といわれるそうですが、その堂々たる姿を見ると、人間の小ささと自然の雄大さを実感せずにはいられません。

今度はお弁当を持って、こどもたちもつれて、太田の歴史を振り返りつつ来たいなと思いました。

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コメント

本文中の「長吏」という言葉について、いわゆる「穢多(えた)」と同義語で、今では両方とも差別用語として認定されている言葉であるというご指摘をいただきました。
この言葉が差別用語であるということは、実は知らなかったのですが、今回の歴史散歩の講師の方は、部落解放同盟群馬県連・研究所会員として研究してこられた方であり、資料自体も「太田・献上松茸を育てた長吏集団」と題し、その役割を果たされた方々に光を当てるものでしたので、そのようなニュアンスを感じたものの、あえてそのまま使わせていただきました。ご指摘ありがとうございました。

投稿: あべともよ | 2005年11月11日 (金) 00時16分

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